ミッキーマウスと呼ばれたポルシェ│その名の由来は?①

競争激甚なクラスにユニークさと先進的設計で挑んだポルシェ・タイプ645。それは長いこと謎のベールで覆われていた。〝きわもの〞なのか正常進化なのか?私たちはミッキーマウスのニックネームの由来と、クルマのどこが先進的だったのかを知るべく、そのベールを剥いだ。

ポルシェの歴史の中で、もっとも日の当たらなかったクルマのひとつが、文字どおり流星のように消えていったタイプ645スパイダーである。645はドイツで公開されてから1956年秋に姿を消すまで、4カ月にも満たない短い生涯だった。だが誕生するまでの時間は長かった。タイプ550より軽く、より空力にすぐれ、よりロードホールディング性能の高いクルマを目指して1年以上前に設計を終えていたのだった。
 
ポルシェはヨーロッパでもっとも競争の激しいスポーツカーレースの小排気量クラスに550スパイダーを送り込んでいた。フランスには1500ccクラスの王者ゴルディーニが、イギリスには先進的な設計で鳴るクーパーとロータスが、東ドイツには6気筒を武器とするEMWが、イタリアにはマセラティとオスカが君臨していた。ドイツにはポルシェのほかに燃料噴射で名を馳せたヴォルクバルトも侮れない存在だった。



そんななかで550はエンジンこそフールマンの設計による1954年製と新しかったが、シャシーは元をたどれば1950年まで遡る、ヴァルター・グレックラー設計に由来した古いものだった。イーゴン・フォルスナーはこの点が大いに気になった。1940年にグミュントのポルシェの幹部に加わったこのオーストリア人は、ブレーキの設計、冷却システム、バルブギア、さらにはトラクターの設計までと、ありとあらゆるものにパテントをもつ有能なエンジニアだった。シュトッゥトガルトに移ったのちは計算部門の長を務めるジョセフ・ミクルのもとに長く仕えていた。部下にはエルンスト・ヘンケルがいたし、1956年からはハンス・メッツガーも新人としてやってきた。

「計算部はどこよりも超絶したオフィスでしたよ」と語るのはメッツガーだ。「そこはあらゆるものが揃う広い空間でした。私たちは3階にいたんですが、下の階は列車のような窓が付いていたことからDザグとかDトレインと呼ばれるオフィスで、眼下にそこの実験部門が見えていたんですよ。Dザグは左側にシャシー関係、右側がエンジン設計と、計8名のエンジニアが働いていましたね」
 
1954年も押し詰まった頃、イーゴン・フォルスナーはタイプ547型4カム・エンジンを積む新型ボディ/シャシーの設計を決意する。だがクルマづくりはひとりではできない。タイプ645の呼称をくれた関係スタッフ以外に、このプロジェクトに協力してくれる人間を募った。そこはさすがにレーシングカーに懸ける情熱にあふれたポルシェ・スタッフ。エンジン設計者のエルンスト・フールマンと車体設計のハインリッヒ・クリエが快く応じた。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Karl Ludvigsen Photos:Ludvigsen/Porsche Archive

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