ポルシェのミドエンジン・スポーツカー 914が辿ってきた歴史とは?①

ポルシェ914が発表されてから50年の歳月が流れた。ポルシェとフォルクスワーゲンの共同プロジェクトとして誕生した914は、入門レベルのミドエンジン・スポーツカーだ。914の開発により、ポルシェは新規ファンへの間口を広げることを、VWは取り扱いモデルの拡大を、それぞれに目指した。

「フォルクスワーゲン・ポルシェ」とも呼ばれるポルシェ914を運転してみると、「これはなんだろう? 今までのクルマと全然違う…」とか、「このクルマはどんな方向を目指しているのだろう?」などと、自問自答をくりかえす人が大半だろう。
 
快適ながらも、いまだに誤解も多いこのミドエンジンのモデルは、VWとポルシェのコラボレーションによって誕生した。約7年間で12万台近くが生産され、現在でも希少車として重宝されている。
 
同じくミドエンジン・モデルである現在のポルシェ・ボクスターは、新規顧客の関心をポルシェのディーラー店に集め、ドイツのシュトゥットガルト発の最高級レベルの車を運転してもらうことを目的に創られた、入門用のモデルだ。タルガトップの914も同様だったが、唯一の違いは914が「ドイツ、オスナブリュック発の最高級車」だったことだろう。
 
ポルシェは、911と並べて販売できるような、新モデルの開発に意欲を増していた。代理店側からは、顧客の心をつかむ低価格で入門レベルのモデルを望む声が矢継ぎ早に届いていた。オリジナルの4気筒である356のエンジンを搭載した912が、登場以来ずっと果たしてきたポジションだ。特に、スポーツカーの需要が強かった米国では、ライバルモデルに比べても高額な911 に、ポルシェのディーラー陣は苦戦を強いられていた。
 
しかし、大きな課題として立ちふさがったのは、新モデルを白紙から開発するコストだった。理想的な対応策として、開発コストを分担できるパートナーが望まれた。その流れなら、予算の問題ばかりか、生産キャパシティーが限界に近かったツッフェンハウゼン工場の生産ラインの問題にも解決の光が差す。望ましいパートナーさえ見つかれば、予算を削減できる上に、願わくば生産ラインを別の工場に移すこともできるかもしれない。

1960年代後半、ポルシェが純粋に販売の拡大を目指していた一方で、VWは新市場への参画を模索していた。ハインリヒ・ノルトホフCEOの指揮の下、VWイメージは変化の途中にあった。まずはオリジナルのカルマンギアが、次いでタイプ3をベースとした2世代目が新市場の開拓を期待されたものの、後者は顧客の失望を招く結果となった。2世代目のアメリカン・スタイルはヨーロッパ市場では評価を得られなかったばかりか、米国への販売展開もなされなかったのだ。また、製造コストも高額だった。
 
このように、ポルシェとVWの間には当初から強い引力があり、両社が共同プロジェクトで手を握ったのは自然な成り行きだった。しかし両社ともに新モデルを白紙から開発する余裕はなく、ボディの組み立てはドイツのオスナブリュックを拠点とするカルマン社に発注された。VWは、4気筒の914/4に搭載するエンジンやメカニカル・パーツを供給した。ポルシェは、より魅力的な2リッター6気筒エンジンやランニングギアを供給した。


 
オリジナリティー豊かな914のスタイリングは、インダストリアル・デザイナーの草分けであるハンス・グジェロが率いるデザインスタジオが手がけたとする説が散見されるが、真相は異なるようだ。そのような取引記録は残っていない。また、シュトゥットガルトから80kmほど離れたノイ=ウルム郡に位置するハンス・グジェロの会社の沿革にも、そのような話は見当たらない。しかし、この逸話は雑誌、書籍、インターネット上などでたびたび繰り返されている。
 
たしかに、グジェロはどこかのクライアントに向けてクルマをデザインすることに、関心を寄せてはいたようだ。主にインダストリアル・デザインを手がけていたグジェロのスタジオは、新素材への関心から、バイエル社とも協業した。化学薬品会社であるバイエル社は、さまざまなタイプのプラスチックや、GRPモールディングの専門技術などにも長じていた。 

1964年にグジェロの会社はバイエル社との協業で、フロント・エンジンのスポーツカーのデザインを手がけた。このデザインは後に、ポルシェも含む主要な自動車メーカー各社に披露された。この件がもとになって、914のデザインをポルシェに持ち込んだのはハンス・グジェロだとする推測が流れたようだが、実際には、すでにそのころ、ブッツィー・ポルシェは、ハインリヒ・クリエの指揮の下で、自社のスタイリストたちを914のスタイリングに邁進させていた。
 
1964年8月には、ハインリヒ・クリエのチームは、全体に角ばったスタイルで、ドアの上部には"カッタウェイ式"の趣向を凝らした、2シーターロードスターのクレイモデルを完成させていた。このモデルそのものは外観が今ひとつで、生産モデルにはあまり反映されなかったものの、「914のスタイリングは社内で続ける」指針は明確に示された。

--{両チームのデザイン共通点}--
 
それでも、クリエはグジェロのデザインの数々をじかに見ていたのではないか。もし目にしていたなら、多少なりともグジェロのデザインから影響を受けたのではないかという疑問は残るかもしれない。たしかに、両チームの一連のデザインには細部に少々の共通点がある。Bピラーのカッタウェイに施された、ドアを開閉するために指をかけるスペースや、深い傾斜のウィンドシールドなどだ。しかし、他は異なっている。また、BMWの特徴をもとに構築されたグジェロのデザインは、1966年後半まで完成しておらず、その頃にはすでに914のスタイリングは始動していた。グジェロのコンセプトが世間に公表されたのは、1967年ハノーファー・フェアでのことだった。
 
ポルシェでは、904のデザインを受けて、914のボディパネルにもFRPの採用が検討されたという。しかしこのアイディアは、工程に時間がかかりすぎるため大量生産には不向きという理由で却下された。最終的に採用されたのは、フル・コンバーチブルほどの労力をかけずに新鮮な空気を満喫できる、着脱式ルーフパネルを備えたタルガトップのデザインだった。



こうして914(および914/6)の生産準備がほぼポップアップ式ヘッドランプを格納すると、914は風に対してきわめて抵抗の少ない姿になる。クロームのバンパーは人気が高く、高額で取引されている。

整った段階で、VWが波乱に見舞われた。914の生みの親として尽力を続けてきたハインリヒ・ノルトホフ社長が、1968年に病により重体に陥ったのだ。彼は1970年に引退する見通しだったため、すでに後継者を定めていた。自動車産業には馴染みの薄い、実業家のクルト・ロッツだ。
 
当初の予定では、ノルトホフの引退前の2年間はロッツとともに働くことになっていた。しかし1968年夏にはノルトホフの容態が悪化し、事前の計画は方向転換を余儀なくされた。ノルトホフは翌年4月に逝去し、ロッツはその空白を独力で埋めるべく奮闘することになった。
 
クルト・ロッツは事実重視の方針をとった。彼は、914は不要な回り道のような事業であると考え、利益源としてはメインストリームの乗用車により深い関心を寄せていた。しかし、工学デザインの観点からはポルシェとのつながりを高く評価し、両社の関係構築には意欲を示していた。実際に、乗用車EA266(編集翻訳注:ビートルの後継モデルとして開発されたミドエンジンの小型車)を主とした新プロジェクトをロッツが約束した影響で、ポルシェはヴァイザッハ開発センターの拡張に多額の予算を投じている。
 
しかしロッツは、彼が経営することになったVWとポルシェの間に交わされていた同意内容には感心しなかった。ポルシェがプロジェクトの半分を占めるにも関わらず、公式に詳細を決めた契約は存在せず、ほぼ紳士協定に近い状態に唖然としたためだ。
 


同意書簡には、914はVWのプロジェクトであり、その権利を移譲する意向はない旨が提案されており、ロッツはこの点の遵守を主張した。一方ポルシェは、914/6の開発継続に強い意欲を示した。ディーラーに提供できる911の低価格な代替モデルとして、重要な役割を期待していたためだ。
 
同時期に、ロッツは別の問題にも直面した。北米市場にむけたアウディ系列モデルの販売展開だ。当時の北米市場では、現地の各メーカーもVWが善戦するサブコンパクトカーの市場を重視するようになり、VWは徐々に苦戦を強いられつつあった。VWのロッツとポルシェのシュトゥットガルト陣は、対応策に熟考を重ねた。その結果、ポルシェは米国におけるポルシェの販売権をVWに移譲し、ポルシェとアウディをともに販売する部門を立ち上げるという新機軸の合意に至った。一方、VWは従来通りに、既存のVWディーラーのネットワークが販売を続けることになった。
 
この大型で高額なジグソーパズルの最終ピースとして、VWとポルシェは新会社を設立した。この新会社は、914や将来的な共同出資プロジェクトのモデルのみならず、当時の現行モデルであった911の販売も手がけることになった(914の登場により、912はフェードアウトしていく)。新会社の名称は「VW ポルシェ販売会社(VW - Porsche Vertriebsgesellschaft GmbH)」、または略称「VG」である。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:フルパッケージ Translation: Full Package Words: Keith Seume and Paul Knight Photography: Paul Knight and Porsche Archiv

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