カレラ・アバルトの真実│真のボディ製造元と、その製造数の解明③


 
この1台目のカレラ・アバルトをル・マンのあと数人の記者が試乗した。『Sports Cars Illustrated』誌のジェシー・アレクサンダーは次のように書いている。「アバルト製の優れた特徴のひとつに素晴らしいドライビングポジションがある。ただし、ステアリングを握るまでが大変だ。体をほとんど二つ折りにし、ゆっくり乗り込むしかない。それほどルーフが低いのだ。ドライバーの頭とルーフとの間隔はぎりぎりで足りているが、身長が6フィートを超える人はひどく苦労するだろう」

「スポーツレーシングカーでアウトバーンを飛ばすと面白い経験ができる。110mph(177km/h)で駆け抜ければ、警察でさえ羨ましそうに振り返るのだ。高速に達したときのエンジンノイズは容赦がなく、少しでも窓を開けようものなら轟音と乱流が襲いかかってくる。操縦するというより、方向を定めて突き進む4輪付きのミサイルだ。ルーフ付きのスパイダーと形容してもいい」
 
ウーリ・ヴィーゼルマンは、エンジンが「耳をつんざく大音響を上げるので、レーシングカーに乗っているのを痛感する」と書いている。「5500rpmで本領を発揮するから、2速や3速でスロットルペダルを踏み込むと、胸にパンチを浴びたように感じる。また、あくまで主観的な印象で客観的な証拠はないが、通常のカレラより路面をしっかり捉えるようだ。おそらく重心が低いためだろう」

『 Auto Motor und Sport』誌のテストによると、タイプ692/3aエンジンを搭載したカレラGTLは、静止状態から8.7秒で60mphに達し、21秒足らずで100mphに達した。それまでのカレラで最速の記録だ。


 
1960年、シュトレーレを皮切りに、プライベートドライバーの元にGTLが納車されていった。銀色に輝くアバルト・カレラはドイツでは2万5000マルクで、ロイター・カレラより3500マルク高く、アメリカでは6300ドルで販売された。ポルシェがアバルトに提供したシャシーは20台で、それがアバルト・ポルシェの総数だ。そのうち、ワークスカーとしてファクトリーに留まったシャシーナンバー1013と1018はオイルフィラーが延長された。その他、サイドウィンドウのカーブやナンバープレート灯の位置、テールランプの形状など、ボディのディテールにはばらつきがある。
 
アバルト・カレラは21 台造られたとする説がある。正式なファクトリーの仕様書であるカーデックスがその証拠とされていた。しかし、マルコ・マルティネッロの調査によって、21台目と考えられていたシリアルナンバー1021は、実は当時ポルシェで働いていたあるエンジニアの父親のために特別に造られた356Aカブリオレに割り振られていたことが判明した。このクルマは" B"の駆動系にスーパー90のエンジンを組み合わせ、オーナーの好みで" A"のボディを架装していた。
 
ロッコ・モットは非公式に21台目のGTLを製作していた。火災でダメージを受けた356Bのシャシーを使用して、フランスのポルシェ・ディーラーのために造ったものだ。ディーラーは1963年にこのクルマでレースに何度か出走した。クルマは現在も市場に流通しており、アバルト・カレラの歴史をいっそう複雑なものにしてくれている。


 
実は、アバルト・カレラはもっと増える可能性もあった。1962年9月、モンツァで開催されたイタリアGPで、ポルシェのレース監督フシュケ・フォン・ハンシュタインが、カルロ・アバルトにある思いつきを相談していた。1.6ℓカレラのボディを、新しい2リッターのカレラ2のシャシーに架装するという案だ。それを聞いたアバルトの反応を「明らかにこの方法をエレガントだとは思っていなかった」とハンシュタインは報告している。
 
アバルトはこう答えた。ポルシェのために同じ型で新しいボディを製造するのはやぶさかでない。だが、プロジェクトの経済性を考えれば、最低でも25台の注文が必要だ。いずれにしても大きな利益が出ることは期待していない。「ポルシェ・カレラ・アバルトに自分の名前が入ったことで、世界的な宣伝ができたから、ポルシェの新しい仕事で利益を出す必要などまったくない」、そうハンシュタインに話したのだという。
 
これを受けてポルシェは10月に、25台のボディを1963年6月25日までに完成させられるかアバルトに問い合わせた。それが確実にクルマを完売できると考えられる最終期限だった。しかし、1962年末にこの案は立ち消えとなった。カレラ2の軽量ボディの製造は、ポルシェが抱える職人に割り当てられたのだ。そして、そのデザインはフェルディナント・"ブッツィ"・ポルシェに任された。ここからツッフェンハウゼンにおけるデザインの新時代が幕を開けるのである。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Karl Ludvigsen Photography:Ludvigsen and Porsche Archiv

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