フォードGT40とポルシェ917│同じカラーに身をつつんだ戦い

※この記事は、圧倒的な力を見せたブルーとオレンジのマシン│ポルシェとガルフの強さを探るの続きです。
 
GT40 Mk.Ⅱは"図体の大きな時代遅れなクルマ"ではあったが、勝利を掴むのは目前という状態まで熟成を重ねていた。フォードはシーズンを通してレースを支配し、以前より耐久色を増したデイトナ24時間で1位から3位までを独占、セブリングでも1-2-3フィニッシュを決めた(ただし3位は4.7リッターのMkⅠ)。そしてル・マンでは優勝はおろか3位まで占め、ボスを狂喜乱舞させた。同時にフェラーリの勝利を6年ぶりに阻止したのであった。

ヘンリー・フォードⅡ世の野望が達成されると、フォードはレースからの撤退を表明した。これより数カ月遡る66年のセブリングでは、新たな潮流が始まろうとしていた。ガルフのレース・エンスージアスト、グレイディ・デイヴィスはジョン・ワイヤにばったりと出会う。そこで自分自身のためにGT40を売ってくれないかと求めたのである。

この提案はのちに思いがけない結果を生むことになる。フォードの撤退発表のすぐあと、ワイヤはデイヴィスにひとつの提案を投げかけた。それはガルフのサポートをあちこちのクルマに分散するのではなく、自分たちで作るGT40レースチームに集中し、クルマをガルフ・カラー1色に染め上げたらどうかというものである(フォードはそれまでアメリカのレーシングカラーである白を主体にブルーストライプを入れたもの、もしくはボンネットをブルーに塗っていた)。



デイヴィスはしばらく検討したのち提案を受諾、こうしてJWオートモーティブ・エンジニアリングとガルフ・レーシングはタッグを組み、初舞台を67年2月4日のデイトナ24時間としたのである。だが、まだ完璧というわけではなかった。そのクルマは車体中央こそ幅広のオレンジ・ストライプだったが、ボディ全体の色はダークブルーで、ガルフのサービスステーションで使われていた色に合わせたものだった。
 
その年の4月までにJWのGT40は、我々にも馴染みのあるパウダーブルーとマリーゴールドに塗り替えられた。67年のル・マンはシェルビー・アメリカが用意した7リッターエンジンを積んだフォードが勝利、JW/ガルフ・チームはGT40を独自にモディファイしたミラージュM1で参戦するもエンジントラブルに泣き、明暗を分ける。

だが、7リッターのような大排気量エンジンはFIAの新規定により翌年から使用が許されなかった。すでに先を読んでいたワイヤの快進撃はここから始まる。ミラージュM1で車体、エンジンともに経験を積んだワイヤとガルフのコンビは68年、69年とル・マンを連覇。JWのGT40による戦績は見事なものだったが、それまでの活躍はガルフのオレンジとブルーがいよいよクライマックスを迎える序章にすぎなかった。


 
1950年代から60年代にかけて、ポルシェは"ジャイアントキラー"の名を欲しいままにしていた。ポルシェは常に小排気量クラスで戦っていたものの、上位を走る大排気量車にひとたびトラブルでも起こると即座にその地位を奪っていたからである。69年のル・マンの結果は象徴的だ。優勝したジャッキー・イクス駆る4.9リッターのガルフGT40と、ハンス・ヘルマンがドライブする3リッターのポルシェ908との差は史上もっとも接近したタイムであるだけでなく、最終ラップでは抜きつ抜かれつの大接戦の末になんとかイクスがポルシェの頭を抑え、120メートル差で勝った。

しかし、この勝利はクルマの性能差というよりはドライバーの腕の違いがものを言った結果といえた。この年のル・マンはポルシェ初の大排気量マシン、917がデビューしたことでも記憶される。ただ、残念ながら個人で参加した917最初の顧客ジョン・ウルフが、1周目に事故を起こして死亡するという悲惨なデビューでもあった。

ポルシェが917で賞賛されるべきは、5リッターエンジンが認められるグループ4規定のひとつ、25台の"量産"を短期間に実現したことで、これは残りのクルマを販売すれば同社の経済的負担を減らすだけでなく、エンジニアと顧客の絆を深めるという面でも役立った。ポルシェは、時代遅れのGT40であれだけの成功を収めたワイヤを高く評価し、すでにフォードの手を離れたJWオートモーティブにポルシェ・ファクトリーに代わってチームを運営してもらえないかアプローチを図った。



ポルシェ、JWオートモーティブ、ガルフ・オイルの間で三者協議が行われたのち、69年9月30日ロンドン・カールトン・タワーホテルにてプレス発表会が催された。そこではガルフ・カラーを装った917がお披露目されたが、それはのちのガルフ・ポルシェ伝説の始まりを告げるものでもあった。来たる1970年は、フォードではなくポルシェが、ブルーとオレンジに塗られてレースを戦うことになったのだ。


次回へ続く。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words: Delwyn Mallett Photography: Porsche Archiv, Canepa and author

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