ナイロビでボロボロになっていたポルシェ911は超貴重な1台だった?!

ポルシェといえば歴史的にラリーよりサーキットでの活躍が知られている。しかし、1981年サンレモでのヴァルター・ロールの奮闘や、グループB仕様911 SC/RSのヨーロッパ・ラリー選手権優勝などに加えて、忘れてはならないのが1970年代のサファリ・ラリー挑戦だ。

おそらくサファリ・ラリーに参戦したポルシェの中で最も有名なのは、1978年のド派手なマルティーニカラーのクルマだろう。しかし、最初のワークスエントリーは1973年のことで、ボッシュのイエローにペイントされた2.7 RSだった。ファクトリーでの大幅な開発を経て、翌1974年はキューネ&ナーゲルをスポンサーに、ブルーのストライプで参戦。実はその2台は、前年の車両をペイントし直したものだった。
 
1978年にヴィック・プレストンJr.とビョルン・ワルデガルドによって2位と4位でフィニッシュした車両は、ポルシェ・ミュージアムに秘蔵され、特別な機会にしか走行しない。対して、ボッシュとキューネ&ナーゲルカラーだった2台は、現在は個人、それも同一人物が所有している。ポルシェのヒストリーを背負う貴重なクルマである点に変わりはないが、こちらはクラシックラリーやショーなどに頻繁に姿を見せている。この2台を所有する幸運な人物が、ドイツのウーヴェ・クルツェンベルガーだ。これは彼と2台の911の物語である。


 
ウーヴェと妻のガブリエルは長年のポルシェ・エンスージアストだ。二人でクラシック・カレラRSというオーナーズクラブを設立し、週末にはクラブイベントを行っている。また、そのウェブサイトはドイツの911オーナーが修理や整備に関して助言を仰ぐ場として、開設以来、高い人気を誇る。そのため、あるケニア人が検索したときもこのサイトがトップに表示された。そのケニア人の作業場の庭先には、使い込まれてボロボロになった911が眠っていたのである。
 
うますぎる話を書いたEメールがアフリカから届いたら、普通なら無視するのが一番だ。しかし、そこに書かれていた数字は、ナイジェリアに住む気の毒な未亡人の銀行口座ではなく、忘れ去られて久しいワークスラリーカーのシャシーナンバーだった。二日後、ウーヴェとガブリエルはナイロビへ飛んでいた。
 
そこで二人を待っていたクルマは、見るも無惨な状態だった。苛酷を極めるアフリカのラリーに何年も参戦し、それだけでもひどい状態になっていたのだが、エンジンのリビルドで使用したパーツが不適切だったために焼き付きを起こし、以来、長年にわたって放置され、人知れず朽ち果てていたのである。
 
ウーヴェが目にしたときには、フロアは大半がなくなり、Aピラーはネジで固定して適当にパテで覆ってあった。また、特徴的なブルバーやルーフラック、ライトなどのサファリ・ラリー用の付属品はすべてなくなっていた。あとはスクラップになるばかりといった状態だったのだ。
 
とはいえ、車体番号プレートの数字は記録と一致したので、そのまま雨ざらしにしておくことなどできるわけがない。ウーヴェはクルマを運び出す手はずを整え、ドイツへ輸送するコンテナ船を見つけようとした。だが彼は悪夢のように煩雑な手続きに阻まれた。そこで、煩わしい輸出手続きを避けるため、貨物専用機に載せることにした。

・・・次回へ続く

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO( Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words & Photography: Robb Pritchard

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