ラリー用ポルシェ911が泥まみれで放置された理由は?

これはナイロビでボロボロになっていたポルシェ911は超貴重な1台だった?!の続きです。

それは45年前にさかのぼる。ル・マンで念願の総合優勝を果たしたポルシェは、911の競争力と信頼性を証明する場を求めて、さらに遠方へと目を向けた。そして選ばれたのが、その苛酷さで伝説的地位を誇るイーストアフリカン・サファリ・ラリーだ。

 
参戦する2台は、インターセリエに出走したヴィリー・カウゼンの917/10と同じ、ボッシュカラーのイエローにペイントされた。シャシーナンバーS-AR 7909のドライバーは、のちに初代WRCドライバーズ選手権チャンピオンとなり、サファリで4度栄冠をつかんだビョルン・ワルデガルド。S-AR7910は、1967年ヨーロッパ・ラリー選手権のグループ1を912で制したポーランド人、ソビエスワフ・ザサーダがドライブした。
 
しかし、2台とも完走はならず、ザサーダはサスペンションの破損でストップし、ワルデガルドはエンジントラブルでリタイアした。完全に壊れたクルマ2台をドイツに持ち帰る結果に終わったチームは、標準仕様のままアフリカの悪路で何千kmも戦うことなど不可能なのだと思い知らされた。こうして全面的な開発プログラムがスタートし、アップグレードは300カ所にも及んだ。
 
完成した1974年仕様車は、待ち受ける困難に対して万全の準備を整えたかに見えた。車高を3インチ上げて、サスペンションのストロークを伸ばし、特別に開発されたショックアブソーバーを装備。車体下部はアンダーガードで完全に覆い、前後にはユニークなブルバーを取り付けた。これは大型動物が飛び出してくる事態に備えたものだが、コースが閉鎖されていなかったため、地元住民を避けなければならないこともあった。
 
この年、ワルデガルドはS-AR 7910に乗り換え、7909は1970年と71年に日産で2年連続サファリ王者になった、エドガー・ヘルマン/ハンス・シュラー組がドライブした。あらゆるテストを行い、トップクラスのクルーを揃えたポルシェは、有力チームを作り上げたと自信満々で乗り込んだ。だが、ヨーロッパでどれほどテストを行っても準備しきれない要素があった。天候だ。
 
激しい雨によってルートが水浸しになったのである。賢明な現代人ならウィンチを装備したランドローバーでしか走らないようなコンディションだった。そんな状況にもかかわらず、ワルデガルドは行程のほとんどでトップをキープした。ところが残酷にも、フィニッシュが見えそうな地点まで来てサスペンションが音を上げ、そのタイムロスによって後退し、2位で終えた。
 
一方、2台目はそれほどうまくはいかなかった。というのも、ヘルマン/シュラー組はエントリーが遅く、出走順が41番目だったため、先行車によってコースがすっかり荒らされていたのだ。最悪のコンディションと格闘しなければならず、泥の穴に3時間スタックしたこともあった。
 
ポルシェはクルマを頑強にするためにあらゆる改良を施したが、小さな問題を完全に見落としていた。それは、泥の侵入を防ぐ対策だ。ハンス・ヘルマンは、80代になった今でも1974年春のあの4日間をはっきり覚えており、直面した問題を私たちに説明してくれた。
 
理由は単純だった。「クルマが重すぎたのさ。頑丈にはしたが、軽くはなかった。泥の中を走るときに重いクルマになど乗りたくはないだろう。あの頃はステージが非常に長く、すべて順調に運んでも、夜の睡眠時間はせいぜい4 時間だった。最初の30分で湿った泥が200kgもクルマの中に入り込んだら、それを抱えたまま20時間も走らなければならない。大きな問題だった」
 
リタイアの原因も泥だった。といっても泥の中でスタックしたからではなく、ぬかるみを走り続けたことでエンジンが大量の泥を吸い込み、焼き付きを起こしたのである。ダメージがあまりに大きく、あまりに人里離れた場所で走行不能となったために、ポルシェは回収する価値はないと判断した。クルマは再生不可能として、道が乾いたらレッカー車を手配できるという地元住民に安く売り払われた。


・・・次回へ続く

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO( Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words & Photography: Robb Pritchard

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