有能なエンジニアにしてポルシェ917の父 フェルディナント・ピエヒという人物

2019年8月のフェルディナント・ピエヒの死で、ポルシェとVWの一時代が終わりを告げた。有能なエンジニアにしてポルシェ917の父であるピエヒは、共に働いた者から尊敬されると同時に恐れられる存在でもあった。妥協を許さない人柄で、触れるものすべてに消えることのない痕跡を残したピエヒの生涯を振り返る。

フェルディナント・ポルシェ博士の孫で、ポルシェを世界一の"レーシングマシン" に成長させたフェルディナント・ピエヒが2019年8月に急死した。ピエヒはフォルクスワーゲン・グループの会長を辞してから、故郷のオーストリアで引退生活を送っていた。会長の座を追われたのは2015年3月、ディーゼル不正問題でヴォルフスブルクに激震が走る半年前のことだった。
 
ピエヒは、天才的な祖父の生まれ変わりを自認していた。母はポルシェ博士の長女ルイーズである。父方の姓を与えられたピエヒだが、フェリーからポルシェを受け継いで率いるのは自分だと信じていた。実際に、その成就は目前だった。大学卒業後、エンジニアとしてメツガーと共にフラット6の開発に携わり、わずか5年で、技術部門とモータースポーツ部門を率いる明らかなナンバー2にまで上りつめたのだ。後継者となる道が閉ざされたのは、フェリーと母ルイーズが、子どもたちには管理職の地位を与えないと決めたからだった。こうしてピエヒは1972 年にポルシェを去るが、それまでに、911の予測不能なハンドリングを修正し、驚くほど軽量な911Rを生み出した。また、フラット6(2.4)のシリンダーヘッドを改良して、アメリカの排出規制に適合させた。
 
だが何といってもピエヒ最大の功績は、衝撃的なポルシェ917だろう。おそらくルックスでも成績でも、歴史上最もドラマチックなレーシングカーだ。レギュレーションで締め出されるまで、917の圧倒的な強さに対抗できるものはいなかった。


 
35歳でポルシェを去ったピエヒだが、その成功は始まったばかりだった。まずはメルセデス・ベンツのために5気筒ディーゼルエンジンを設計し、次いでアウディNSUの技術部門トップに就任。引き続き5 気筒エンジンの研究を続け、そのガソリンバージョンをアウディ100に搭載した。アウディ100は、Cd 値わずか0.30という最先端ボディをまとい、革新的ルックスと驚異的速さを誇ったが、実は構成パーツの大半がアウディの不要品だった。
 
エンジニアとしてだけでなく、ビジネスマンとしても優れた才覚の持ち主だったのだ。先端技術の導入と製造コストの抑制を両立させる手腕は、プラットフォームの共通化をいち早く導入したことにも表れている。VWグループのトップとなった1990年代には、まずシュコダ、次いでセアトを傘下に収めると、両ブランドのモデルはすべてVWやアウディとプラットフォームを共通化した。まさにスケールメリットの生きた見本である。
 
アウディは100によって、利益率の高い高級車ブランドに生まれ変わるのだが、ピエヒはそれに先だって、桁外れの宣伝効果を上げていた。エレガントだが地味なアウディ100ベースのクーペにターボチャージャーを搭載し、四輪駆動にコンバートして、クワトロと命名したのだ。クワトロはラリーで次々に成功を収め、その筋肉質な外観とサウンドにふさわしい優れた性能を証明した。
 
ピエヒは非情なことでも知られた。ポルシェでは917を完成させるため、スタッフを48時間シフトで働かせた。VWトップとなった30年後、GM副会長のボブ・ラッツがゴルフMk.6の見事なパネルフィットを褒めると、ピエヒは次のような"秘策"を伝授した。ボディエンジニアを招集して、6週間以内にパネルギャップを3mmにしなければクビにすると告げたのだ、と。のちにラッツは、恐怖で支配するこうしたスタイルが、ソフトウェアによる不正操作の遠因ではないかといぶかっている。ピエヒから、パフォーマンスと燃費について両立不可能な目標を与えられたら、ボスの怒りを買ってキャリアを潰される危険性より、欧州の手ぬるい排出ガステストで不正が発覚する危険性のほうがはるかに低いとエンジニアが考えても、不思議ではないからだ。
 
VWを莫大な利益を生む組織に生まれ変わらせた功績で、ピエヒはついに祖父が生んだ企業の会長となった。すると自己満足に走るようになり、最高250mphの非現実的なスーパーカー、ブガッティ・ヴェイロンを造り、1台400万ユーロに上るといわれる損失を出した。また、競争好きなピエヒは、端正なアウディR8を、あえて911と直接競合する市場に送り込んでもいる。
 
ポルシェを日常的に指揮する地位は諦めざるを得なかったが、ピエヒはポルシェの大株主であり、監査役会のメンバーとして常に目を光らせていた。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)  原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: Kieron Fennelly Images: Porsche AG

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