ポルシェが総力を結集して作り上げたマシンが開発されるまで

930をベースに作ったグループ5だから935とネーミングは単純だが、誕生までの過程はそう簡単なものではなかった。また生まれてからいくつかの試練にさらされたこともこのクルマの運命だったといえるかもしれない。ただ、新たな活躍の場を求めたポルシェが総力を結集して作り上げたマシンであることは確かである。

ポルシェ935 を知るにはそれが登場する1976年以前のスポーツカー・レーシング界の状況から見ていく必要がある。1970年代初頭はポルシェ917やフェラーリ512などグループ4に属する5リッタースポーツカーが覇を競っていた時代。あまりに高速になりすぎたことを憂慮したFIAは72年から世界メイクス選手権(正式名はワールドチャンピオンシップ・フォア・メイクス、以下メイクス選手権)のタイトルを3リッターのグループ5プロトタイプに絞り込み、実質的にポルシェの締め出しにかかった。
 
レースを楽しむ側からするとこの規定変更は歓迎すべきもので、72年から75年までバラエティーに富んだメイクが激しい戦いを繰り広げたが、そのいっぽうでポルシェが不在だったことはファンの興味を大いに削いだ。GTクラスでは依然圧倒的な強さを示したものの、ヨーロッパで本来の活躍の場を失ったポルシェは北米大陸に活路を求め、917に手を加えてCan-Amに挑戦しはじめる。小手調べとして4.5リッターの917PAで参加した当初は強力なアメリカンV8に対して歯が立たなかったが、本格的に参戦する段になってターボ化を推進、その結果72年には常勝マクラーレンを破ってチャンピオンの座に就く。チーム運営をペンスキーに託した73年には1000馬力を超えたともいわれる917/30を武器にシリーズ完全制覇を成し遂げた。


 
Can-Amでターボ技術を完成させたポルシェの次の目標は、ヨーロッパでこれをどう生かして復活の狼煙を挙げるかだった。目指す舞台はもちろんメイクス選手権。手始めに数年前にお払い箱にした908/3にターボエンジンを搭載して75年シーズンに参加させた。この908/36ターボは勝利こそなかったものの着実に走ってシリーズ2位の好成績を収め、アルピーヌA442とともにスポーツカー・レースにもターボの時代が到来したことを告げた。
 
奇しくも75年はメイクス選手権にとって大きな変革の時期であった。76年からのレギュレーションがまったく新しいものに変更されたからである。そもそもスポーツカー・レースとは一般公道を走る生産車によって争われるべきもの。ところが実際は生産車とはほど遠い格好の2座席プロトタイプ・レーシングカーが中心であり、本来あるべき姿から逸脱したシーズンが何年も続いた。そこでFIAはスポーツカー・レースの原点に立ち返ろうと、生産車をベースとするクルマにメイクス選手権のタイトルを懸け直したのである。

しかしその内容は妥協以外の何ものでもなかった。新規定によるグループ5“スペシャル・プロダクションカー”は見た目の姿と搭載するエンジンの型式だけ生産車に準じていれば、それ以外はまったく自由といってよかった。形だけは生産車、だが中身はレーシングカーという奇妙な姿の新グループ5規定がシルエット・フォーミュラと呼ばれるのは皮肉も込められてのことである。このレギュレーション変更に早くから準備してきたのがポルシェである。この間、ヴァイザッハでは930ターボをベースにしたモンスターマシン、935を製作していたのである。
 

その強さは・・・次回へ続く

文:尾澤英彦 写真:ポルシェ Words: Hidehiko OZAWA Images: Porsche AG

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