歴史に刻まれる記憶│ポルシェとグッドウッド・サーキットの歩み

2018年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードは、今日世界でもっとも素晴らしいスポーツカー・メーカーのひとつに数えられるポルシェの設立70周年を祝うものであり、ステージ中央ももちろんポルシェが占めた。そのいっぽうで隣接するグッドウッド・サーキットもオープン70周年を迎えていた。グッドウッド・サーキットはレースの歴史に深くその名を刻んだだけでなく、後年、有名なリバイバル・イベントを主催したり、メンバーズ・ミーティングを復活させたりと、常に強い存在感を放ち続けている。

グッドウッドとポルシェのつながりは数十年前に遡る。しかし遠い昔の話は、たいていの場合がそうであるように、そこで何が起き、その後どうなったのか、あまり知られないまま時が過ぎるものだ。わかっているのは、あのスターリング・モスの名前がたびたび登場する程度である。ここでは、当時の貴重な資料をひもときながら、初期のポルシェがグッドウッドでどういう足跡を残したか、について研究してみようと思う。

まず、当時のポルシェは英国でどういう状況にあったのだろうか。ポルシェが初めてグッドウッドを走ったのは1953年。その2、3年前の英国におけるポルシェの販売台数はまだわずかなものだった。苦しい状況にあったのはグッドウッドも同じ。開業間もない頃、そこで行われるレースに海外からエントリーする者はきわめて少なかった。サーキットはイングランド南岸のチチェスターという街にほど近いところにあり、1948年9月に正式オープンした。1948年9月は奇しくも356が販売を開始したときでもある。



その356がグッドウッドを初めて走ったポルシェというのは偶然だろうか。記録によれば、1953年8月に行われた9時間レースに、ウィリ・ブッシュマンとPWS.ホープが持ち込んだ左ハンドルの356が最初のポルシェである。成績は17位で完走扱いの中では最下位だった。当時の『Motor Sport』は、スピードは遅かったが着実に走ったとリポートしている。他誌には上位を走るジャガーともつれ、スピンに陥ったポルシェの写真が掲載されているので、あまり順調な船出だったとはいえないかもしれない。

記録にはそのあと行われたメンバーズ・ミーティングでWH.ブレッドソーが別のポルシェで参加したとの記述もあり、彼は1954年10月に同サーキットで開かれたスピード・トライアルにもドイツのナンバープレートを付けた別の左ハンドル356で参加している。1955年6月のメンバーズ・ミーティングでは、ディック・スティードが英国登録の右ハンドル356をドライブしている。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation: Hidehiko OZAWA Words: Robert Barrie Photos:As credited

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