イタリアン・ファンタジー│ポルシェとイタリアン・カロッツェリアの世界

1950年代後半、ポルシェは356よりも大きなモデルの開発計画をスタートさせていた。トリノのカロッツェリア・ギアとその看板デザイナーだったセルジオ・サルトレッリにとって、それは自分たちの能力を披露するまたとないチャンスだった…。

イタリアのカロッツェリアの全盛期、その中でもカロッツェリア・ギアは国際的に最も活躍していたコーチビルダーだった。それは主に、ナポリ生まれのルイジ・セグレの温厚な人柄と語学力、そしてもちろんデザインの才能とビジネスに対する洞察力のおかげだった。彼と彼のチームは素晴らしいデザイン力とクラフツマンシップで、どんな難題にも驚くような短期間で答えを出してくれると、世界の大手自動車メーカーの重役たちから頼りにされていたのだ。
 
セグレは戦時中に米国OSS(戦略諜報局)の活動員として、イタリアの山岳地帯でパルチザンとともにドイツ軍を苦しめて名を上げたという。その間にアメリカ流の考え方と英語を身に付け、戦争が終わるとエンジニアリングの教育を活かして、ジアチント・ギアが富裕層のために特別仕立てのボディを作るコーチビルダーとして1915年に設立したカロッツェリア・ギアに入社した。1948年、スタイリスト兼マネジャーのフェリーチェ・マリオ・ボアノがギアの経営を引き継いだが、従来通りの特別な車とプロトタイプを製作する方針は変わらなかった。ピニン・ファリーナやスタビリメンティ・ファリーナなどは特別なボディの量産車も手掛けたが、ギアはその点で他社と異なっていた。セグレはそれがギアの仕事の幅を狭めているとしてボアノと対立することもあったというが、1954年にはカロッツェリアを率いることになった。


 
1950年代初めには、ギアは海外へビジネスを拡大する。ショーモデルなども引き受けていた彼らに、クライスラーのトップ、カウフマン" KT"ケラーが目を付け、イタリア人たちの仕事を見てみたいと言い出した。1950年のトリノショーの後、彼はギアとピニン・ファリーナにクライスラーの標準的なシャシーを委ね、それぞれのボディを架装するように依頼した。狙いは当然、カロッツェリアの仕事のクオリティを見極めることであり、そのコンペで勝ったのはギアだった。それ以降、カロッツェリア・ギアはクライスラーのスペシャルモデルを請け負うことになったのである。
 
この決定に大喜びしたのは、1949年にクライスラーのアドバンスデザインスタジオの所長に就任していたバージル・エクスナーだった。彼の最初の仕事は1951年末のクライスラーK310、それはアメリカとイタリアのデザインが融合した気の利いたクーペだった。エクスナーのアイデアをギア側で翻訳していたのはジョバンニ・サボヌッツィ、エアロダイナミクスを得意としていた創造性豊かなエンジニアである。エクスナーのアイデアから生まれた特に斬新なデザインはクライスラー・デレガンス、それは1953年発表の際立って大胆なラインを持つショートホイールベースのクーペだった。 

セグレとボアノは、他の大物にもギアを売り込んでいた。そのひとりがヴィルヘルム・カルマン。1951年当時87歳だったが、特製ボディワークを量産するカルマンを依然として率いていた。既にVWのカブリオレを生産していたカルマンは、VWの厳しいボス、ハインツ・ノルドホフにアピールするもっとスポーティーなモデルを熱望しており、あるヨーロッパのショーでカルマンは聞き上手のセグレにその話を打ち明けた。
 
早速セグレはビートルを購入した。ボアノの息子のジャンパオロがフランスのディーラーで車を引き取って、トリノまで運転してきたという。1953 年の初めのことだった。カロッツェア・ギアはそれをベースに、クーペにもコンバーティブルにもなりうる車の製作に取り組むことになった。チームの主要メンバーはサボヌッツィとボアノ親子、そして才能あるデザイナー兼エンジニアのセルジオ・コッジオラである。押し出しの強いアメリカ車とVWビートルのプラットフォームではサイズがまったく違うが、彼らはクライスラー・デレガンスのテーマを活かしたセミノッチバック・クーペを作り出した。特徴は独立した形状のリアフェンダーで、そこからフロントのホイールハウスまで明確なラインが伸びていた。

この斬新なリアフェンダーのアイディアを進化させ、ユニークな形のノーズと組み合わせたVWカルマン・ギアのスタイルはノルドホフに大いにアピールした。1955年に発売されたクーペとカブリオレは最初から大評判となり、カルマンのビジネスに大いに貢献したのである。

もう一台、エクスナーのアイデアに基づいた魅力的なロードスターが1953年パリサロンのギア・ブースに出品された。この車はツッフェンハウゼンが用意したポルシェのシャシーをベースとしており、ギアにとってはポルシェとの最初の縁となった。


・・・次回へ続く

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Karl Ludvigsen Images:Ludvigsen Archive

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