一度見たら忘れられない衝撃│誰もが認めるほど速かったオレンジ色のポルシェ935 K3

一度目にしたら絶対に忘れられないものがある。私の場合はサーキット走行中に、イエガーマイスター・ポルシェ935 K3が急に目の前に現れたときの後ろ姿だ。シューッと音を立てながらオレンジ色のコウモリが猛スピードで走り去っていくその姿に度肝を抜かれた。70年代後半のグループ5レーシングカーで大成功を収めてから早30年。あのときの衝撃はいまも忘れられない。

シュトゥットガルトで毎年行われるクラシックカーの祭典"レトロ・クラシック"。2013年にはクレマー・レーシングのポルシェ935 K3が、オレンジに輝くイエガーマイスターの当時の意匠そのままに展示され、人々の注目を集めていた。
 
クレマーの成功の物語は、1962年にケルン出身のアーヴィンとマンフレッドのクレマー兄弟がモータースポーツの世界に足を踏み入れたときに始まる。自分たちのために彼らはクレマー・レーシングを立ち上げたのだが、そのときからポルシェをスペシャライズしていた。
 
マンフレッドがメインテナンスと車両開発を担当、アーヴィンがサーキットを走ってはテストを繰り返す。この役割分担はうまく機能し、1970年のル・マンで911Sを総合6位に滑り込ませ、翌年のポルシェ・カップでは優勝を獲得するまでに至った。以来クレマー・レーシング・チームの歯車は全開で回り始め、レース界での兄弟の評判もうなぎ上りに高まった。70年代はレースに対する彼らのアイデアと発想が一気に開花した時期であり、当時出たばかりの934ターボにさっそくそれらを盛り込んだ。
 
FIAによるグループ5レギュレーションに合わせて構築したアイデアを最初に投入した935が、K1である。K1はすぐにK2に取って代わられる。K2はクレマー兄弟の思想を完璧なまでに昇華させたレーシングカーだった。1979年、クレマー・レーシング・チームは"ポルシェ磨きの技"を極める。ケルンのいちガレージに過ぎなかったクレマー・レーシングはすでにレースカー製造のカリスマ的存在にまでなっており、935の3作目となるK3は史上最強の935と誰もが認めるほど速かった。


 
K3は最初のシーズンで12戦中11勝を挙げただけでも驚くが、デビューレースのル・マンでいきなり勝ってしまったのには誰もが唖然とした。このクルマにあって他のクルマにないものは何か。ポルシェのエンジニアの間でもひとしきり話題になったほどである。プロフェッショナルが極限まで追求したワークスのレーシングカーでも、クレマー・ポルシェの前では霞んで見えてしまうのである。
 
基本的にK3のボディは、デザイン・プラスチック社が製作した軽量でエアロダイナミックなケブラー製ボディワークを使用する生産型935ターボと同じである。935 K3はダウンフォースを最大限得ることにすべての労力が注がれたといってよい。それゆえ前後のフェンダー部分、それに後述するリアウィンドウまわりはまったくの別物となる。ボディ表皮の内側ではロールケージと前後サスペンションのマウンティングポイントがエクステンション・ロッドで締結され、ボディ剛性の向上に一役も二役も買っている。また、三角形を成す1本のストラットバーが車体の中央付近で左右に渡って、車体のねじり剛性を高めている。
 
すわなち、ボディパネルは一切の応力を受けない構造となっているので、ボディパネルの多くは簡単に取り外すことができ、実際、走行直後にメカニックが整備することになっても、次々にパネルを外せば熱地獄から解放されるのだ。クレマーが経験から得た最大の知見がインタークーラーの冷却法である。オリジナル935では水冷式熱交換器を装備していたが、クーラントの温度が上昇するとエンジンパワーが目に見えて下がるという弱点を抱えていた。マンフレッド・クレマーと彼の開発チームはどうしたらレースの最後までエンジンが最大限の性能を持続できるかという点に知恵を絞った。答えはクレバーかつシンプルなものだった。

その答えとは?・・・次回へ続く

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words: Britta Bau Photos: Stefan Bau

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