1週間で雪道5000kmを走破するラリー│クラシック・ポルシェの結果は?

この記事は『真のパワーを発揮!雪と氷に覆われた山道を進んでいくポルシェ』の続きです。

ヴァランス最後の休息の夜を過ごした後、これまでより少し早い時間にスタートして、今度はアルプスを越えてエズへ向かう。サポートのクルーたちが先回りして休息をとっているモナコは、そのすぐ先だ。ルートの大部分が有名なルート・ナポレオンに沿っている。かの19世紀のフランス皇帝はここを通って、運命のワーテルローへと向かったのだ。

 
そびえ立つ岩、その深い割れ目、山々を切り通すトンネルや旧い要塞を抜けていくと、曲がりくねったヴァール川の広い河川敷があった。雪解け水も含まれるであろうに、驚くほど水は少なかった。こうしたリエゾン区間では、参加車たちはレギュラリティを走る時よりもずっと飛ばして移動している。レギュラリティでは指定時間前に到着してしまうと、大きなペナルティを課せられるからだ。
 
だがほとんど人の気配のない道路で、参加者たちは髪をなびかせて本当に楽しんでいた。ボクスターをハードに駆っても、一見して平凡なマシンであるオペル・カデットやフォード・エスコート、ボルボ・アマゾンらについていくことは容易でなく、ラリーカーが後ろにつく度に、私は進路を譲ることにした。


 
やがてラリーのルートは風光明媚なプロヴァンスの田舎を抜けてニースの北、数キロのところに来た。暴利を貪るオートルートの料金所に手いっぱいの手榴弾を投げつけずに済む方法はないか思案しながら、写真映えのいいエズの街に寄って、地中海を高みから望んだ。オートモビル・クラブ・ドゥ・モナコは市庁舎の脇、駐車スペースとなったマーケット広場に特設ステージを用意していた。また一日中走った後にホッとするような、歓待だった。
 
私たちはしばしの間、ユルゲン・バースとローランド・クースマウルを取材した。彼らは好きなように、しかしストレスをためることなく走って、105位となっていた。それは40年前の夢の時間を再び味わうことだったのだ。コメントは取れたが、私たちの仕事は終わりからはまだ程遠かった。ラリーの参加者たちはモナコに、メガヨットの居並ぶアルベール1世河岸の脇に再集結することが義務づけられていた。グランプリの時はF1のピットガレージがあるところだ。
 
ようやく、ニースから上がったところにある山中で、夜の出番の前に短い休息が訪れた。つまり再びオートルートを飛ばして、ワインディングを走り回るのだ。終わりがないかのような1車線のヘアピンを無数に抜け、ソスペル、ラントスク、ペイラ・カヴァを経由して、伝説のチュリニ峠、そしてサン・サヴール・シュル・ティネを巡る。
 
ジャーナリストとカメラマンにとって、もし疲れを溜め込んだならば、最善の戦略は、スタート場面を捨てて、ラリー車の集団に先回りして、地味なホテル・レストランが2、3軒あるだけのチュリニ峠に向かうことだろう。報道人にとって、それはなめてはかかれないものだ。

編集翻訳:南陽一浩 Transcreation:Kazuhiro NANYO Words:Johnny Tipler Photography:Alex Denham & Johnny Tipler

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