苛酷を極めた年のサファリラリーを戦い抜いた英雄│ポルシェ911SCラリーカー

ポルシェ・ミュージアムの倉庫に大切にしまわれている911SCラリーカーには興味深い物語がある。苛酷を極めた1978年のサファリラリーを戦い抜いた英雄なのである。

今では信じられない話だが、1970年代末のポルシェでは、911の生産を終了して、モダンなフロントエンジンの924、944、928を後継とすることが真剣に検討されていた。広く愛された911の引退を飾るため、スポンサーのマルティーニは、まだ911が勝利したことのない二つのビッグイベントの制覇を望んだ。ル・マン24時間レースとサファリラリーである。ル・マンのためには935/78"モビー・ディック"が用意された。911の究極バージョンといえる出力845bhpのシルエットレーサーだ。
 
911は主にサーキットレースの世界で名声を築いたが、最初に出走した競技は実は1965年のモンテカルロ・ラリーだった。パワフルで俊敏な911は、すぐにモンテカルロで3連覇を成し遂げた。だが世界ラリー選手権のカレンダーにはもうひとつ、ユニークな代表的イベントがあった。
 
それがイーストアフリカン・サファリラリーである。パリ-ダカール・ラリーが人間と機械の究極の試練の場として定着する以前、その称号はサファリラリーのものだった。WRCの中でも特異なラウンドで、他のどのイベントよりはるかに長い距離で争われる上に、非常に手強い地形を舞台とした。当時、世界で他に並ぶもののない耐久ラリーの頂点だったのである。


 
ポルシェは年を追うごとにサファリラリーへの本気度を強めていったが、ワークスとしての参戦は、キューネ&ナーゲル・カラーの2.7 RSで戦った1974年が最後だった(この911については本誌日本版1号で紹介している)。マルティーニは、サファリラリー制覇がもたらすであろうアフリカでの知名度向上を望んだ。ポルシェのモータースポーツ責任者のユルゲン・バルトと広報トップのマンフレート・ヤントケも、これを大いに歓迎。こうして新プロジェクトが始動した。
 
10トン近いスペアパーツや補給品と共に、2台の3リッター 911SCがケニアに送り出された。全長6000kmにもおよぶルートはサバンナを横断する岩だらけのダートロードで、完全装備の4×4でも大変な負担を強いられる。にもかかわらず、ラリーカーは驚くほど標準仕様に近い状態だった。

もちろんボディシェルは補強されたが、これはモータースポーツに出走する際の常識である。サスペンションはストロークの長いセットアップに置き換えて、28 ㎝のグラウンドクリアランスを確保した。岩だらけのルートを疾走するためには不可欠なモディファイだ。また、伸びきった状態でのバンプやジャンプを繰り返すため、スプリングがダンパーケーシングに当たり、最終的には破損してしまう。これを過去の経験から知っていたポルシェは、トラベルリミッターも取り付けた。
 
車体下部はアンダーガードで覆い、フロントにはブルバーと照明ラックを装着。見た目のインパクトこそ強いものの、岩や野生動物から車を守る単純なアクセサリーにすぎない。給油ステーションまでの距離が長いため、120リッターの燃料タンクも搭載した。手を加えたのは基本的にそれだけだ。メカニックが数人いれば半日で終わる作業である。
 

グループ4のホモロゲーション規定は・・次回へ続く

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words & Photography: Robb Pritchard

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