銃を向けられるハプニングも・・・│ポルシェ911とサファリ・ラリーの歴史

この記事は『苛酷を極めた年のサファリラリーを戦い抜いた英雄│ポルシェ911SCラリーカー』の続きです。

グループ4のホモロゲーション規定では、モディファイできるパーツが非常に限られていた。のちにパリ-ダカールに出走した959と違い、プロトタイプではない。したがって市販車の宣伝にはうってつけだった。サファリのベースとなった911SC(スーパーカレラ)は、2.7 911とカレラ3.0の後継として、この年に発売となった新モデルだ。ラリーカーに搭載された3リッターのフラットシックスは、出力250bhp、トルク300Nmだが、最高速は120mphに抑えられた。苛酷な耐久ラリーで最も重要なのは、高いトップスピードではないからだ。

 
2台のうち1台は1977年のサファリ・ウィナー、ビヨン・ワルデガルドがドライブした。これが可能となったのは、所属していたフォードがサファリにエントリーしなかったためだ。今も高い人気を誇るこのスウェーデン人ドライバーは、翌年WRCの初代ドライバーズチャンピオンに輝く。ポルシェとは既に縁があり、1969年と1970年に911Sを駆ってモンテカルロ連覇を果たしていた。コ・ドライバーは同国のハンス・トーゼリウスである。もう1台をドライブしたのは地元ケニアのヴィック・プレストンJr.で、7度の出走経験を持つサファリのスペシャリストだ。コ・ドライバーも地元出身のジョン・ライオルだった。


 
チームにとってドライバーに負けず劣らず重要なのがサービススタッフである。サポートチームを率いたのは、サファリで何年もの経験を持つユルゲン・バルトだ。これは当然の人選だった。1969年にポーランド出身のヨーロッパラリー選手権チャンピオン、ソビエスワフ・ザサーダが911Sで6位フィニッシュしたときから、ワークス参戦した1973年と74年まで、ポルシェが出走したサファリラリーにはすべて関わっていたからである。
 
バルトは長年の戦友であるローランド・クスマウルをコ・ドライバーに、8台のサービスカーと無線中継用の軽飛行機を指揮した。2人がドライブしたのは、カラーリングも仕様もラリーカーと同じSCだ。プラクティスカーとして使われた車両である。そこにドライブシャフトやダンパーなどのスペアパーツを満載し、ルーフにはスペアタイヤを搭載。サファリのルートには閉鎖区間が一切ないため、競技車両をどこでも自由に追走した。


 
このポルシェのレジェンドに話を聞くと、サポートチームが直面したサファリ独特の苦労を教えてくれた。「今では最も苛酷なイベントといえばダカールだが、ダカールでは睡眠も取れるし、メカニックは毎晩、好きなだけ整備ができる。だがサファリは6日間ほぼノンストップで走り続けるから、整備する時間も睡眠時間も、ほとんどなかった。ほかにも問題があった。特に北部のソマリアとの国境付近に行ったときだ」

「私はいつも地元で運転手を雇ってドイツ人のサービススタッフを移動させた。1978年は、その1台が武装集団の待ち伏せにあったんだ。運転手は全員に『伏せろ』と指示してバリケードを突破した。幸い銃弾は誰にも当たらなかったよ。でも、あとで合流したときに見たメカニックの表情は、いまだに忘れられないね」


もうひとつ、1978年の思い出は?・・・次回へ続く

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