ポルシェ356で参戦 カレラ-パナメリカーナの魅力に取りつかれた女性のストーリー

この記事は『「世界でもっとも過酷なロードレース」に挑んだポルシェ356Aの復活』の続きです。

前オーナーのポール・ケーンが、リバイバル版カレラ・パナメリカーナを中心とするヒストリック・ラリーでどのような結果を残してきたのか、少し振り返ってみることにしよう。実は、私自身もこのイベントを2年間にわたって取材したほか、2011年には914/4を駆って出走(コドライバーはサラ・ベネット-バッグスで95位に入った)したが、そうした経験からいえるのは、このラリーで必要となるのはなによりもスタミナとやる気であり、そして過酷な状況にも耐えうる優れた信頼性である。
 
ポールによれば、彼の妻であるマリーは1992年にカレラ・パナメリカーナのスポルト・メノルに参戦し、クラス4位の成績を残した。「あのクルマは、実際のところマリーのものでした」とポール。「私はマリーの姉弟であるダグラスと連れだって1989年のカレラ・パナメリカーナに出場しました。クルマは当時、私たちが所有していた1954年製のジャガーXK120です。これが私たちにとっては最初のイベントでした。このとき、マリーもサポートクルーの一員として同行してくれたのですが、どんなイベントかを目の当たりにして、彼女もその魅力に引き込まれるとともに、356がほしくて仕方なくなったのです」
 


彼らの行動は素早かった。その数カ月後、ケーンは黒くペイントされた1957年製の356Aと出会う。コンディションも悪くなかったので直ちに手に入れたが、ケーンが知っていることといえばジャガーのメンテナンスくらい。それでも、夫妻はXK120と356Aの2台で1990年から93年まで4年連続で"パン-ナム"に出場する。「現地では大規模なメンテナンスを行いませんでした。50年代にも自動車メーカーはスタート地点まで自走したことを知っていたからです。メキシコまで往復して、イベントに出場すると、走行距離は合計で7000マイル(約1万1200km)にもなりました」

「購入した当時はブラックでしたが、91年にカレラ・ブルーに塗り直しました。メキシコでは人気のあるカラーだったようです。私たちはビジネスライクでフラットなダッシュに交換すると、予備の潤滑系としてアキュサンプのオイル・アキュムレーターと装備しました。また、リアクォーター・ウィンドウにはエアスクープを取り付け、エンジン冷却用のファンに直接、風を導けるようにしてあります。燃料と潤滑油の配管は室内を巡らせ、大容量の安全タンクを搭載しました」
 
マリーは工具、スペアパーツ、ジャッキなどをクルマに積み、デロルト製キャブのジェットを自分で交換できるように準備した。なにしろ、スタート地点のトゥストラ・グティエレスは標高1700フィート(約510m)だが、メキシコシティは標高8000フィート(約2400m)にあるのだ。「レースが終わる度に、私たちが当時、暮らしていたフロリダ州タンパ近くのショップでエンジンをリビルドしました」

編集翻訳:大谷達也 Transcreation: Tatsuya OTANI Words: Johnny Tipler Photography: Antony Fraser This 356A’s latterday competition history includes La Carrera Panamericana

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