北京からパリへ│1万4000kmのラリーにポルシェ356で挑んだ人物にインタビュー

北京-パリ・ラリーが初めて開催されたのは1907年のことであった。クルマが持つ本当の性能を証明する場として、当時フランスの日刊紙『ル・マタン』がヨーロッパの各自動車メーカーに話を持ち掛けたことが始まりだった。

第一回大会で優勝を果たした、イタリア人のペアはゴールまでに8週間もの時間を要したそうだ。しかし、その後は中国とロシアが政情不安に陥ったため長期間開催されなくなった。それから長い月日が過ぎ、1997年にオールドタイマー・ラリーとして再び注目される存在となった。世界中から100以上のチームが北京に集まり、パリへと続く1万3695kmの道のりをわずか5週間で走破。2016年にポルシェ356Cで初参加を果たしたレバノン人のシャーベル・ハビブにインタビューをした。

バビブは、中東およびアフリカで成功を収めている建設グループの CEOである。「我々がラリーを走破したことを地元の人々は非常に誇りに思っています」と話す。オリジナルに沿ってレストアされた1964年 ポルシェ 356 Cを駆って、コ・パイロットのワリド・サマハと共に1万4000kmにおよぶラリー “北京 -パリ” へ挑んだ。彼らは祖国ベイルートのみならず、中東全体においても初のラリー参加者だったのだ。



「私のようにオールドタイマーを愛する人々にとって、この “北京-パリ” ラリーは究極の挑戦といえます」と話すハビブ。初参加にも関わらず、総合24 位に入り、1975 年までに製造されたクルマのクラスで2位に入賞したのだ。「制限時間が設けられたポイントが100以上あったのですが、全てにおいてランクインすることができました。このカテゴリーではゴールドメダルを獲得したのです。何よりも嬉しかったのは、ゴールであるパリのヴァンドーム広場にたどり着いた時、前方にフォード・マスタングの姿が一台も確認できなかったことでした」とハビブは胸を張る。

このラリーでポルシェ 356 C を選んだ理由は何でしょうか?
それほど大きな出力は備わっていないクルマですが、特別なオールドタイマーを操ってみたかったのです。基本的な走行であれば時速175kmぐらいまでは出るのですが、ラリー本番ではテントや着替え、大切な飲料水なども持たなければならなかったので、それだけで大きな負荷がクルマにかかっていました。そのため、100km/h以上は出さないことを念頭に置いて、注意深くルートを走り続けました。

ラリー中での奇妙な体験はありましたか?
ラリー中盤ほど、全く人の気配を感じないロシアの草原で、夜遅くに次のステージに向けてクルマの整備をしていました。翌日のレースでは、溜まった疲れと寝不足のせいでロードブックをほとんど確認せず、前を走るライバルの後を付いて行っていました。すると突然その車が曲がっていったのです。すぐにロードブックを確かめてみると、自分たちがルートから大きく外れて、全く違った場所を走っていることに気付いたのです。とっさにGPSの電源を入れたのですが電波が入らない。前のクルマを追ってドライバーを止め、ロードブックに沿って走行しているのかどうかを問いかけてみました。すると、「いいえ、ゴールとは違う方向に進んでいるんですよ」という奇妙な返事が返ってきたのです。そのために大きなタイムロスを強いられ、制限時間のわずか30秒前になんとかポイントにたどり着くという結果になりました。

最大の問題はどのような出来事でしたか?
モンゴルで経験した大雨は、前進することが不可能だと思うくらい過酷でした。そして、それ以上に大変だったのが埃。356には純正エアフィルターを装着させていたのですが、3000kmにわたるオフロードの路面からの激しい振動によってフィルターがホルダーから外れていたのです。埃が大量に車内へと入り込み、大きな問題が発生。エアフィルターを取り換える際に、エンジンが突然不具合を起こしたんです。幸いにもラリー移動日だったので、うまく修理する時間を取ることができました。たった2晩でエンジンを元通りに直すことができたのです。

ラリー中にリタイアを考えましたか?
スタート直後にリタイアという文字が頭をよぎりましたね。砂漠地帯で方向を確認することですら、私たちは初めてだったので、たくさん道に迷いました。ラリーがもう終了するというフィニッシュ直前でもルートを逸脱していましたよ。その時には体力が限界だったのですが、パリがもう目の前に迫っていたのでリタイアのことは考えませんでした。もしこれがラリーの中盤であったら諦めていましたね。

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