往年のドライバーがポルシェと共にモンテカルロへ再び│911の快進撃の幕開け

911に初のモンテカルロ総合優勝をもたらしたヴィック・エルフォードはいう。地理・地形・気候・天候というあらゆる条件が揃ったフランスはあらゆるラリーが世界で唯一開催可能な国である、と。アルプスの極寒とプロヴァンスの温暖さ、両者の間に変わらず存在し続けるラリーに対する熱烈な歓迎ぶりも、他所にはないものだとも。往年の911使いたちが、再びモンテカルロからチュリニ峠を目指したイベントのレポートをお届け。

このイベントは、911のモンテカルロ制覇50周年および40周年の記念ランとして開催されたが、重要だったのは優勝車と優勝ドライバーのみならず、そのプロローグともいえる時代やプライベート体制にまでスポットライトが当たったことだ。後述するフランスのポルシェ・チューナー、ジャック・アルメラスは「ラリー・ドライビングはつねにチーム・スポーツで個人の勝利ではない。その成功は、ドライバーとコ・ドライバー、クルマとチームの協力の上に成り立つものさ」と語っている。WRCが1970年代に始まってから最初の数年間、ドライバーズ・タイトルを設けていなかったことは、いみじくもそれが真実であることを示唆しているだろう。


 
ポルシェのモンテカルロ・ラリー挑戦は、356の時代、1951年に遡る。ところがこの年、356のエンジンが別会社のフォルクスワーゲンから供給されていたという理由から、エントリーは受理されず、出走は叶わなかった。翌1952年、このルール条項は削除され、6台参戦した356 1.3リッターのうち1台が、総合45位でフィニッシュした。だが、この成績は、サイドシルからルーフの寸法が規定に達していないとの理由からペナルティを負っての結果だった。

苦渋のデビューを強いられた356は、1953年にようやく1500cc以下のクラス2位、総合33位を果たした。1955年と56年にもクラス2位に終わり、1.6リッターの356Bが1600cc以下のクラス優勝を果たすのは、1962年のことだった。が、それとて総合66位という成績だった。
 
1965年のモンテカルロには、前年から生産が始まったニューモデル、901(出場時は911に改名された)と、スポーツプロトタイプ・カテゴリーで実績を積んでいた904カレラGTSで臨むことが決まった。今回のモンテカルロに姿を見せたルビーレッドの911、シャシーナンバー[300055]の2リッタークーペは、オリジナル状態にレストアされたもの。911として初めてモータースポーツに投入されたワークスカーだが、当時のモンテカルロ参戦はほとんどマーケティング目的だったと、御年90歳のヘルベルト・リンゲは述懐する。彼は元ポルシェの従業員で、メカニック兼テストドライバーとしてミッレミリアやツール・ド・コルス、タルガ・フローリオやニュルブルクリンク1000kmなどで、356をクラス優勝に導き、実際に1965年モンテカルロ・ラリーでもこの911ワークスカーを駆って出走した本人だ。


53年ぶりにモンテカルロでシャシーナンバー[300055]を駆ったリンゲ。バケット形状でない千鳥格子のファブリックとレザー張りのシート、大径ステアリングに、当時のツーリング・スポーツの"様式"が感じられる。バックミラーの手前にコ・ドライバーが操作するルーフランプのスイッチがあり、マップランプも兼ねていたことが分かる。

「我々はトップチームから程遠く、プライベートの方が体制も充実していたぐらいだったね。さして雪対策もしていなかったので、当時の我々ですらこの成績には驚いたよ」とリンゲは回想する。

シフトノブの位置やルーフランプ以外、ほぼストック状態だった911は、それでも非凡なポテンシャルを見せた。積雪が多く、237台出走のうち24台しか生き残れなかったラリーで、リンゲが駆る911はなんと総合5位につけた。それは911の快進撃の序章でもあった。


1966年の出来事・・・次回へ続く

文:南陽一浩 Words: Kazuhiro NANYO Photography: Deniz Calagan/Porsche Museum , Kazuhiro NANYO

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