ミドシップエンジン搭載のスポーツカー開発からタイプ64の誕生まで

1938年 “Dr. Ing. h.c. F. Porsche KG”はこの年の初め、メルセデスベンツの3リッターW 154フォーミュラレーシングカーに搭載する12気筒エンジンのための、2ステージスーパーチャージャーとタイプ90レーシングカースタディ(実際には生産に移されませんでした)の設計を依頼された。

春、フォルクスワーゲン試作車の第2弾となる30台のタイプVW 38の製作依頼を受け、シュトゥットガルトを拠点とするコーチビルダー、ロイター社からボディの供給を受けた。ボディは1週間に2台のペースで製造された。Aピラーに設けられたドアヒンジやスプリット式の“プレッツェル”型リアウインドウを備えたこの車は、ようやく最終的な形に達している。

6月25日、ポルシェ設計事務所はクローネン通り24番地からシュトゥットガルト・ツッフェンハウゼンの自社所有の建物に移転した。去る1937年5月、すでにフェリー・ポルシェは会社用の不動産を取得しており、のちにポルシェ第1工場となるべき場所を決めていたのである。

6月から、“KdFワーゲン”(歓喜力行団の車)と名付けられたフォルクスワーゲンと他のプロダクションモデルとの比較テストがスタートした。7月の第1週、フェリー・ポルシェはV303フォルクスワーゲン セダンとカブリオレの山岳試験走行に参加した。同じ月の終わり、完成度が高められたVW 38を含む2回目の試験走行が行われた。

9月、1.5リッター ミドシップエンジン搭載の画期的なスポーツカー、タイプ114のプロジェクトが具体化し始めた。この派生モデルのレーシングカー、タイプ116については、技術者は水冷V10エンジンを計画していた。しかし翌年の戦争の勃発により、これらの計画は実行には移されなかった。これとは別に9月に設計作業が始まったタイプ64のほうは順調に事が運んだ。ベルリン-ローマ長距離レースのために計画されたこのクルマは、その後のポルシェの全てのスポーツカーの先駆けとなる車であると考えることができる。

1939年の春、“Dr. Ing. h.c. F. Porsche KG”は、この年の9月に予定されていたベルリン-ローマ長距離レースのために3台のレーシングクーペ、タイプ64とタイプ60K10を開発・製造。流線形のアルミボディと改良されたVW 50 PS水平対向エンジンにより、“ベルリン-ローマカー”の最高速度は145km/hに達した。戦争の勃発によりレースを開催できなくなると、ポルシェ設計事務所では完成されたレーシングカーを高速ツーリングカーとして使用し、平均速度130km/h以上を達成したのである。

2月にベルリンモーターショーに出展された“KdFワーゲン”をベースとして、この年には他の2つの軍用タイプの車両が登場した。ポルシェ KGは、タイプ81“VWパネルトラック”に加え、タイプ62“KdFオフロード車”、タイプ82“VWキューベルワーゲン”、そして4輪駆動のタイプ87“コマンダー”を開発した。

空冷VWエンジンは自動車だけでなく、マグネトーまたはバッテリーで点火可能な幅広い用途の定置エンジン(タイプ120)としても利用できるようになった。

12月上旬、ポルシェ設計事務所はドイツ軍兵器局からの最初の発注として、中戦車の開発を依頼された。このタイプ100“レオパルト”は、2基の空冷V10エンジンを搭載したディーゼル/電気式のパワートレインを採用することが計画され、1941年4月に設計が終了した。しかし、1941年5月末の時点では重戦車が必要とされたため、それ以後はこのタイプ100についての作業は全て中止され完成を見ることはなかった。

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