ポルシェの重要な歴史を辿る│「タイプ356」の生産の準備を始めたころ

1949年5月14日、“Porsche-Salzburg Ges.m.b.H.”が弁護士アントン・ピエヒとその妻ルイーズ・ピエヒによって設立された。

1950年2月、最初のタイプ356/2カブリオレが完成した。3月17日、このスポーツカーは最初のタイプ356クーペとともにジュネーヴ・モーターショーで披露された。オランダ人自動車販売業者ベン・ポンが、ポルシェのスポーツカーの世界初の正規インポーターとなっている。

グミュントが手狭な状態になったため、自動車生産の中心地、シュトゥットガルトに“Porsche Konstruktionen GmbH”を戻すことが試みられた。シュピタールヴァルト通り2番地の以前のポルシェ工場はまだアメリカ軍当局に占領されていたため、シュトゥットガルトのフォイヤーバッハ通りのポルシェの別荘に事務所と小さな工場が置かれた。その後すぐに、ポルシェGmbHはシュトゥットガルト・ツッフェンハウゼンのコーチビルダー、ロイター車体製造会社(Karosseriewerk Reutter & Co. GmbH)から600平方メートルの建物を借り、タイプ356の生産の準備を始めた。

そして、ゲッピンゲンにある農業機械メーカー、アルガイヤー社がトラクター、ポルシェ タイプ323の製造事業を取得し、1949年~1957年の間に2万5千台以上が生産された。

バーデン=ヴュルテンベルク州の州都シュトゥットガルトへの移転により、オーストリアの“Porsche Konstruktionen GmbH”社は消滅し、会社は再び“Dr. Ing. h.c. F. Porsche KG”を名乗るようになった。

3月ドイツ、シュヴァーベン地方のシュトゥットガルト・ツッフェンハウゼンで最初のポルシェのスポーツカーが生産された。販売価格は10,200ドイツマルク(クーペの場合)。ドイツで最初のポルシェの販売業者となったのはフランクフルトのヴァルター・グレックラーだった。

ロイター社の生産能力を活用して年末までに369台のポルシェのスポーツカーが生産された。なおこれ以前には1948年~1950年の間に、“No. 1”のほかに52台のアルミボディのポルシェ タイプ356がグミュント工場で生産されている。

10月、パリ・モーターショーにおいてスイスのジャーナリスト、マックス・トレシュの紹介で、フェルディナンド・ポルシェ博士とアメリカ人の自動車インポーター、マクシミリアンE.ホフマンが決定的な出会いを果たす。ヨーロッパのさまざまな自動車ブランドの代理店を営むホフマンは、アメリカ東海岸で独自の販売店網を所有していたため、年内にニューヨークでポルシェ356を披露することが可能になった。

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